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下記コメントは一部に対して修正依頼が来ましたが、投稿者への連絡ができないために管理人において修正依頼のあった部分を□で伏せ字にして再度張り直しました。投降していただいた方には申し訳ありませんがご了承下さい。

----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

照屋昇雄氏をダシにして捏造記事を出す産経
http://blog.goo.ne.jp/ngc2497/e/840adbf2a755ab2579256e03dfbf559b

-----------
http://blog.goo.ne.jp/ngc2497/e/20f79788d9d8dc5ff88a6e35bdc4d401
>「「沖縄集団自決はない」と捏造記事を書いても無問題な産経」へのコメントレス

上のエントリーで取り上げた産経さんのizaブログ↓をよく見ると、、、
ttp://koyamay.iza.ne.jp/blog/entry/195263
魚拓:http://megalodon.jp/?url=http://koyamay.iza.ne.jp/blog/entry/195263%23cmt&date=20070620053908
、、、続報が書いてあったので載せる事にしました。

続報のizaはこれ↓です。
ttp://koyamay.iza.ne.jp/blog/entry/201600/
魚拓:http://megalodon.jp/?url=http://koyamay.iza.ne.jp/blog/entry/201600/&date=20070621001844

そして沖縄タイムスの記事では照屋昇雄氏の経歴は被告(岩波)側によると、、、
1955年(昭和30年)12月中部社会事務所に社会主事として採用。
1956年(昭和31年)10月南部社会事務所に異動
1958年(昭和33年) 2月社会福祉課に異動
1958年(昭和33年)10月社会局援護課に異動
、、、となります。だから「昭和20年代後半には照屋氏は援護課で
集団自決の聞き取り調査をする立場にない」というのが被告(岩波)側の主張です。

そして岩波側に対する反証として産経側の示した写真はこの↓二つです。
ttp://koyamay.iza.ne.jp/images/user/20070620/85122.jpg
ttp://koyamay.iza.ne.jp/images/user/20070620/85135.jpg
照屋昇雄氏について各々の写真は
1954年(昭和29年)10月19日援護事務を嘱託 社会局援護課勤務
1956年(昭和31年) 1月 8日援護事務嘱託 願に依り嘱託を解く
となっています。産経の写真を信ずるなら足掛け16ヶ月しか援護事務嘱託してないですね。
これだけでも聞き取り調査勤務には時間が足りないと気が付かない方がおかしいのですが‥
(しかも採用が昭和29年10月19日だから昭和20年代は残り二ヶ月余りです)

そして沖縄タイムスの記事と産経の写真の両方を付き合わせると‥
1954年(昭和29年)10月19日援護事務を嘱託 社会局援護課勤務
1955年(昭和30年)12月中部社会事務所に社会主事として採用(異動?)
1956年(昭和31年) 1月 8日援護事務嘱託 願に依り嘱託を解く
1956年(昭和31年)10月南部社会事務所に異動
1958年(昭和33年) 2月社会福祉課に異動
1958年(昭和33年)10月社会局援護課に異動
‥何の問題もなく岩波側の主張と産経那覇支局長の出した2枚の「反証の
証拠写真」は結びつくのですが‥二枚のizaブログの写真は
全く反証になっていないです。
izaブログの二枚の写真は裁判被告(岩波)側の主張の補強証拠になってるです 。

(izaブログの写真を見てもらえればわかりますが「新証拠」としての新しい写真は
産経記事を否定して岩波側記事を肯定する恰好になってるですが‥派手な自爆ですな‥
今回の写真で件の人が「照屋昇雄」氏というのは確定しました)


そして上の小山裕士産経新聞那覇支局長ブログ曰く、、、
http://koyamay.iza.ne.jp/blog/entry/201600/
>被告が主張する照屋さんの「経歴」とはいったい何なのでしょうか?
>もはやボロボロではありませんか。
、、、いやボロボロなのは産経さんの方なんですが‥
この産経新聞那覇支局長様に情報吟味能力があるとは思えない‥

産経は再び、件の「100人斬り訴訟」の稲田朋美みたいに火をつけて煽るだけ
煽って敗訴して、知らんぷりして逃げるつもりなんでしょうか‥



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Unknown (うどん蹴りχ)

2007-06-21 18:04:14

最近多いな、自爆テロ。はた迷惑な話だ。




Unknown (ノンポリ人間)

2007-06-21 23:02:23


 問題のT氏の辞令の写真を見ると、
 本文1行目に>「援護事務を嘱託す」とありますが、嘱託という文言は一般行政職の職員に対して普通使われる文言ではないと私は思うのですが。(一般の職員であれば、「○○(役職名)に採用する」とか「○○に任用する」という文言を使う・・・はず)
 当時の琉球政府の法令及び人事規則がどうなっていたのか知らないので、確実なことはいえませんが、地方公務員は、地方公務員法※1(昭和25年施行)第3条第1項で、一般職と特別職に区分されると規定され、嘱託(員)については、同条第3項3号で特別職として規定されており、同号には「臨時又は非常勤の顧問、参与、調査員、嘱託員及びこれらの者に準ずる者の職」とありますので、一般の職員ではなく、必要に応じて雇用される臨時職員に対して行われる辞令の文言ではないかと推察します。
 こうしたことからすると、T氏は29年10月から、30年11月に中部社会事務所に社会主事として採用されるまでの期間は社会局援護課の援護事務を担当する臨時もしくは非常勤の職員であったと見るのが妥当で、よって、一般職員の人事記録に何も残っていなくても、(件のブログでは過去の人事記録が改ざんされている・・・と言っているようですが)別に不自然ではない(非常勤職員の人事記録は通常別に記録される)と思いますが。
 もっとも、地方公務員法の件の条文を見てもわかるように、非常勤職員といっても、専門技能職から顧問、はたまた事務手伝いクラスまでピンキリですので、原告側はこの時期にT氏がどんな業務を担当していたか(主張の通り旧軍人軍属資格審査委員会委員として従事していたのか、それとも援護事務のアルバイトだったのか)を立証する必要があると思うのですが。

 なお、辞令本文2行目には
>日給150円を給する。
とありますが、普通行政庁の一般職員に対しては、俸給表といわれる、経験年数および役職に応じた給与表に基づいて、賃金は月給として支払われるのが通常※2なのですが、T氏の場合は、日給という形式で賃金が支払われているところから見ても、琉球政府の一般職員ではなかったと見るのが妥当ではないかと思います。

長々書きましたが、最も大切な事は、琉球政府の職員になったのがいつかの詮索よりも、T氏がA元戦隊長と協議して架空の軍命令を作成して、厚生省に提出したと主張している時期に、T氏が当該業務に携わる立場にあったかどうかという点が最も重要なポイントなのであって、原告側はこのことを立証する責任があると思いますが、どうも見るに、そういう地道な作業をしている様にはとても思ないのですが。
(ただ、私は、T氏が主張している厚生省への文書の提出時期を知らないので何ともいえないです・・)

※1当時の沖縄は米国統治下なので地方公務員法の適用は当然受けていませんが、公務員制度全体からみても、本土とは、そう大きな差違はなかったと思いますが・・・。
※2琉球政府の人事規則がどうなっていたのか不明ですが、それでも職員全員、日当で給与を支払うということないと思います・・・









Unknown (ngc2497)

2007-06-22 00:39:34

>ノンポリ人間氏
詳細な情報ありがとうございます。
私も件のizaブログの写真で「嘱託」の文言が気になっていたのです。
どうみても琉球政府プロパーの職員とは思えないですから。
別にわたしはモメている側の中の人ではありませんが
それでも私の見立てが正しいかどうか多少不安ではありましたが
ノンポリ様の情報で多少自信をもてました。

>T氏は29年10月から、30年11月に中部社会事務所に
>社会主事として採用されるまでの期間は社会局援護課の
>援護事務を担当する臨時もしくは非常勤の職員であった
>と見るのが妥当で、よって、一般職員の人事記録に
>何も残っていなくても、(件のブログでは過去の人事記録が
>改ざんされている・・・と言っているようですが)
>別に不自然ではない(非常勤職員の人事記録は通常別に記録される)と思いますが。
やはりそうでしたか。という事は被告(岩波)側の人事記録提出が
昭和30年12月~となっているのも別に不自然ではないし、
誠実に人事記録を調べれば必然的にそうなる訳ですね‥
件のizaの写真はなおさら岩波側の人事記録証拠と整合性が出てくる訳ですね。

そして、
>T氏がA元戦隊長と協議して架空の軍命令を作成して、厚生省に
>提出したと主張している時期に、T氏が当該業務に携わる
>立場にあったかどうかという点が最も重要なポイント
この「T氏が当該業務に携わる立場にあったか否か」証明(疎明)は
悪魔の証明ではないので明白に立証責任は原告側にあります。
しかしどうも立証の為の材料を集めている様子ではなさげですね。

また産経は煽るだけ煽って逃げるのかもしれません(全然「美しくない」行動‥)。








総合判断 (和田)

2007-10-08 17:15:26

雑誌正論に記述された照屋氏の証言は他の情報とつきあわせて整合的でないことが多すぎます。まず、元厚生省や琉球政府職員に照屋氏の証言に賛同する者はなく、沖縄タイムスによれば、金城見好氏など照屋氏の証言と矛盾する証言が複数存在する、今や原告弁護士でさえ、渡嘉敷島の住民が軍から北山盆地に集合命令を受け防衛隊が手榴弾を渡したことで住民が軍の自決命令があったと思い込んでいたことを認めるに至っているのに照屋氏の渡嘉敷島での百人以上の調査では1人も軍命令があったと言うものはなかったと語っていること-ありえません(原告寄りの上原正稔の訳文にニューヨークタイムスのウォーレン・モスコウ記者が1945年3月29日付で渡嘉敷島の住民が自殺行為を指揮した指揮者への怒りから日本兵に罵声が浴びせたという記述にも矛盾)、さらに照屋証言では赤松が住民に援護金が出るように戦後自決命令書を作成厚生省に提出したことを前提に赤松が死ぬ3ヶ月前に命令書を削除してほしいと連絡したと主張する。しかし赤松は作家である曽根綾子の取材を受け自決命令は出さないと語っていた(ある神話....)ことになっていて(作家の取材が公表されないと考えるはずがない)、命令書を作成したこともそれを死ぬまで黙って耐えたということも虚偽と考えないと説明が出来ないこと、照屋証言では赤松の死後、気に病んだ渡嘉敷村元村長が赤松死後間もなくして死んだと記載されているが、赤松の死は1980年、渡嘉敷村村史を見ると1985年村長の交替、1992年元村長の叙勲祝賀会の記述があり元村長はもう少し生きていた可能性が強い、これも虚偽と思われる、照屋氏は貴兄の推察どうり29才で臨時職員に採用されたのであろうし、審査会も臨時委員でしかない。そのような人物が他の上役を差し置いて赤松と談合する機会などありえないと考えるのが常識であろう。さらに正論の冒頭には照屋氏は三欣会という沖縄保守系の勉強会に参加する形で取材斑を待ち受けたという。検索すると三欣会会長恵忠久氏は元特攻隊員のプロの右翼活動家としかいいようのない経歴で、東京で衆議院選挙に出馬したり米兵の婦女暴行はやらせではないかなどの怪文書を広めたりしている。恵隆之介は沖縄の人で会長と血縁関係があるのかどうか米軍基地就職専門学校経営で新しい歴史....の会に沿った著書もあるようだ。さらに最後に取材協力者として記載された西南諸島安全保障研究所 奥茂治氏は□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□で筋金入りの右翼といえるのではなかろうか。こうしてみると沖縄の右翼勢力が援護課に籍を置いていた照屋氏を利用して自作自演の物語を創作したということが真実と疑われる。被告弁護士は草の根を分けても事実関係を糺すべきであろう。

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琉球新報社『沖縄のうねり』刊行

 琉球新報社が10月10日に『集団自決「軍命」削除の教科書検定抗議 沖縄のうねり』を発行しました。本書は写真集ですので、大会の様子や大会に参加した人々の様子が多くの写真を使って紹介されています。
 写真集ですが、写真が並べてあるだけではなく、県民大会決議文や登壇した方の声明文、県民大会後の各政党の声明なども紹介されています。また、県民大会当日のものだけではなく、それ以前の国の対応、県内全市町村が意見書を採択した事なども整理して掲載されています。
 この問題が起こる背景を描くために、1980年代から続く沖縄戦と教科書検定の問題を整理した年表があります。また、「集団自決」の事例を地図や写真などを使って紹介し、体験者の証言も整理して掲載しています。これを見ると教科書を歪曲しようとしていた人たちが「集団自決」を語るときに渡嘉敷、座間味だけに目を向けるように、しかも調査が十分でなかった時期のデータを如何にも新しいもののように提示していることがわかるでしょう。

『集団自決「軍命」削除の教科書検定抗議 沖縄のうねり』は1冊 857円+税で販売されています。本書には県民大会当日、会場で配られた号外が付録として付いています。

 販売は県内のみのようですので、15日、16日の要請行動に合わせて行われる教科書検定意見撤回を求める総決起集会 などで販売していたらいいなと思っています。

 関連書籍等を製作、販売した方は、当HPブログでみなさんへ紹介していきますのでお知らせください。

関連記事
琉球新報
県民大会写真集「沖縄のうねり」 きょう発売
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下記コメントは一部に対して修正依頼が来ましたが、投稿者への連絡ができないために管理人において修正依頼のあった部分を□で伏せ字にして再度張り直しました。投降していただいた方には申し訳ありませんがご了承下さい。

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照屋昇雄氏をダシにして捏造記事を出す産経
http://blog.goo.ne.jp/ngc2497/e/840adbf2a755ab2579256e03dfbf559b

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http://blog.goo.ne.jp/ngc2497/e/20f79788d9d8dc5ff88a6e35bdc4d401
>「「沖縄集団自決はない」と捏造記事を書いても無問題な産経」へのコメントレス

上のエントリーで取り上げた産経さんのizaブログ↓をよく見ると、、、
ttp://koyamay.iza.ne.jp/blog/entry/195263
魚拓:http://megalodon.jp/?url=http://koyamay.iza.ne.jp/blog/entry/195263%23cmt&date=20070620053908
、、、続報が書いてあったので載せる事にしました。

続報のizaはこれ↓です。
ttp://koyamay.iza.ne.jp/blog/entry/201600/
魚拓:http://megalodon.jp/?url=http://koyamay.iza.ne.jp/blog/entry/201600/&date=20070621001844

そして沖縄タイムスの記事では照屋昇雄氏の経歴は被告(岩波)側によると、、、
1955年(昭和30年)12月中部社会事務所に社会主事として採用。
1956年(昭和31年)10月南部社会事務所に異動
1958年(昭和33年) 2月社会福祉課に異動
1958年(昭和33年)10月社会局援護課に異動
、、、となります。だから「昭和20年代後半には照屋氏は援護課で
集団自決の聞き取り調査をする立場にない」というのが被告(岩波)側の主張です。

そして岩波側に対する反証として産経側の示した写真はこの↓二つです。
ttp://koyamay.iza.ne.jp/images/user/20070620/85122.jpg
ttp://koyamay.iza.ne.jp/images/user/20070620/85135.jpg
照屋昇雄氏について各々の写真は
1954年(昭和29年)10月19日援護事務を嘱託 社会局援護課勤務
1956年(昭和31年) 1月 8日援護事務嘱託 願に依り嘱託を解く
となっています。産経の写真を信ずるなら足掛け16ヶ月しか援護事務嘱託してないですね。
これだけでも聞き取り調査勤務には時間が足りないと気が付かない方がおかしいのですが‥
(しかも採用が昭和29年10月19日だから昭和20年代は残り二ヶ月余りです)

そして沖縄タイムスの記事と産経の写真の両方を付き合わせると‥
1954年(昭和29年)10月19日援護事務を嘱託 社会局援護課勤務
1955年(昭和30年)12月中部社会事務所に社会主事として採用(異動?)
1956年(昭和31年) 1月 8日援護事務嘱託 願に依り嘱託を解く
1956年(昭和31年)10月南部社会事務所に異動
1958年(昭和33年) 2月社会福祉課に異動
1958年(昭和33年)10月社会局援護課に異動
‥何の問題もなく岩波側の主張と産経那覇支局長の出した2枚の「反証の
証拠写真」は結びつくのですが‥二枚のizaブログの写真は
全く反証になっていないです。
izaブログの二枚の写真は裁判被告(岩波)側の主張の補強証拠になってるです 。

(izaブログの写真を見てもらえればわかりますが「新証拠」としての新しい写真は
産経記事を否定して岩波側記事を肯定する恰好になってるですが‥派手な自爆ですな‥
今回の写真で件の人が「照屋昇雄」氏というのは確定しました)


そして上の小山裕士産経新聞那覇支局長ブログ曰く、、、
http://koyamay.iza.ne.jp/blog/entry/201600/
>被告が主張する照屋さんの「経歴」とはいったい何なのでしょうか?
>もはやボロボロではありませんか。
、、、いやボロボロなのは産経さんの方なんですが‥
この産経新聞那覇支局長様に情報吟味能力があるとは思えない‥

産経は再び、件の「100人斬り訴訟」の稲田朋美みたいに火をつけて煽るだけ
煽って敗訴して、知らんぷりして逃げるつもりなんでしょうか‥



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コメント




Unknown (うどん蹴りχ)

2007-06-21 18:04:14

最近多いな、自爆テロ。はた迷惑な話だ。




Unknown (ノンポリ人間)

2007-06-21 23:02:23


 問題のT氏の辞令の写真を見ると、
 本文1行目に>「援護事務を嘱託す」とありますが、嘱託という文言は一般行政職の職員に対して普通使われる文言ではないと私は思うのですが。(一般の職員であれば、「○○(役職名)に採用する」とか「○○に任用する」という文言を使う・・・はず)
 当時の琉球政府の法令及び人事規則がどうなっていたのか知らないので、確実なことはいえませんが、地方公務員は、地方公務員法※1(昭和25年施行)第3条第1項で、一般職と特別職に区分されると規定され、嘱託(員)については、同条第3項3号で特別職として規定されており、同号には「臨時又は非常勤の顧問、参与、調査員、嘱託員及びこれらの者に準ずる者の職」とありますので、一般の職員ではなく、必要に応じて雇用される臨時職員に対して行われる辞令の文言ではないかと推察します。
 こうしたことからすると、T氏は29年10月から、30年11月に中部社会事務所に社会主事として採用されるまでの期間は社会局援護課の援護事務を担当する臨時もしくは非常勤の職員であったと見るのが妥当で、よって、一般職員の人事記録に何も残っていなくても、(件のブログでは過去の人事記録が改ざんされている・・・と言っているようですが)別に不自然ではない(非常勤職員の人事記録は通常別に記録される)と思いますが。
 もっとも、地方公務員法の件の条文を見てもわかるように、非常勤職員といっても、専門技能職から顧問、はたまた事務手伝いクラスまでピンキリですので、原告側はこの時期にT氏がどんな業務を担当していたか(主張の通り旧軍人軍属資格審査委員会委員として従事していたのか、それとも援護事務のアルバイトだったのか)を立証する必要があると思うのですが。

 なお、辞令本文2行目には
>日給150円を給する。
とありますが、普通行政庁の一般職員に対しては、俸給表といわれる、経験年数および役職に応じた給与表に基づいて、賃金は月給として支払われるのが通常※2なのですが、T氏の場合は、日給という形式で賃金が支払われているところから見ても、琉球政府の一般職員ではなかったと見るのが妥当ではないかと思います。

長々書きましたが、最も大切な事は、琉球政府の職員になったのがいつかの詮索よりも、T氏がA元戦隊長と協議して架空の軍命令を作成して、厚生省に提出したと主張している時期に、T氏が当該業務に携わる立場にあったかどうかという点が最も重要なポイントなのであって、原告側はこのことを立証する責任があると思いますが、どうも見るに、そういう地道な作業をしている様にはとても思ないのですが。
(ただ、私は、T氏が主張している厚生省への文書の提出時期を知らないので何ともいえないです・・)

※1当時の沖縄は米国統治下なので地方公務員法の適用は当然受けていませんが、公務員制度全体からみても、本土とは、そう大きな差違はなかったと思いますが・・・。
※2琉球政府の人事規則がどうなっていたのか不明ですが、それでも職員全員、日当で給与を支払うということないと思います・・・









Unknown (ngc2497)

2007-06-22 00:39:34

>ノンポリ人間氏
詳細な情報ありがとうございます。
私も件のizaブログの写真で「嘱託」の文言が気になっていたのです。
どうみても琉球政府プロパーの職員とは思えないですから。
別にわたしはモメている側の中の人ではありませんが
それでも私の見立てが正しいかどうか多少不安ではありましたが
ノンポリ様の情報で多少自信をもてました。

>T氏は29年10月から、30年11月に中部社会事務所に
>社会主事として採用されるまでの期間は社会局援護課の
>援護事務を担当する臨時もしくは非常勤の職員であった
>と見るのが妥当で、よって、一般職員の人事記録に
>何も残っていなくても、(件のブログでは過去の人事記録が
>改ざんされている・・・と言っているようですが)
>別に不自然ではない(非常勤職員の人事記録は通常別に記録される)と思いますが。
やはりそうでしたか。という事は被告(岩波)側の人事記録提出が
昭和30年12月~となっているのも別に不自然ではないし、
誠実に人事記録を調べれば必然的にそうなる訳ですね‥
件のizaの写真はなおさら岩波側の人事記録証拠と整合性が出てくる訳ですね。

そして、
>T氏がA元戦隊長と協議して架空の軍命令を作成して、厚生省に
>提出したと主張している時期に、T氏が当該業務に携わる
>立場にあったかどうかという点が最も重要なポイント
この「T氏が当該業務に携わる立場にあったか否か」証明(疎明)は
悪魔の証明ではないので明白に立証責任は原告側にあります。
しかしどうも立証の為の材料を集めている様子ではなさげですね。

また産経は煽るだけ煽って逃げるのかもしれません(全然「美しくない」行動‥)。








総合判断 (和田)

2007-10-08 17:15:26

雑誌正論に記述された照屋氏の証言は他の情報とつきあわせて整合的でないことが多すぎます。まず、元厚生省や琉球政府職員に照屋氏の証言に賛同する者はなく、沖縄タイムスによれば、金城見好氏など照屋氏の証言と矛盾する証言が複数存在する、今や原告弁護士でさえ、渡嘉敷島の住民が軍から北山盆地に集合命令を受け防衛隊が手榴弾を渡したことで住民が軍の自決命令があったと思い込んでいたことを認めるに至っているのに照屋氏の渡嘉敷島での百人以上の調査では1人も軍命令があったと言うものはなかったと語っていること-ありえません(原告寄りの上原正稔の訳文にニューヨークタイムスのウォーレン・モスコウ記者が1945年3月29日付で渡嘉敷島の住民が自殺行為を指揮した指揮者への怒りから日本兵に罵声が浴びせたという記述にも矛盾)、さらに照屋証言では赤松が住民に援護金が出るように戦後自決命令書を作成厚生省に提出したことを前提に赤松が死ぬ3ヶ月前に命令書を削除してほしいと連絡したと主張する。しかし赤松は作家である曽根綾子の取材を受け自決命令は出さないと語っていた(ある神話....)ことになっていて(作家の取材が公表されないと考えるはずがない)、命令書を作成したこともそれを死ぬまで黙って耐えたということも虚偽と考えないと説明が出来ないこと、照屋証言では赤松の死後、気に病んだ渡嘉敷村元村長が赤松死後間もなくして死んだと記載されているが、赤松の死は1980年、渡嘉敷村村史を見ると1985年村長の交替、1992年元村長の叙勲祝賀会の記述があり元村長はもう少し生きていた可能性が強い、これも虚偽と思われる、照屋氏は貴兄の推察どうり29才で臨時職員に採用されたのであろうし、審査会も臨時委員でしかない。そのような人物が他の上役を差し置いて赤松と談合する機会などありえないと考えるのが常識であろう。さらに正論の冒頭には照屋氏は三欣会という沖縄保守系の勉強会に参加する形で取材斑を待ち受けたという。検索すると三欣会会長恵忠久氏は元特攻隊員のプロの右翼活動家としかいいようのない経歴で、東京で衆議院選挙に出馬したり米兵の婦女暴行はやらせではないかなどの怪文書を広めたりしている。恵隆之介は沖縄の人で会長と血縁関係があるのかどうか米軍基地就職専門学校経営で新しい歴史....の会に沿った著書もあるようだ。さらに最後に取材協力者として記載された西南諸島安全保障研究所 奥茂治氏は□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□で筋金入りの右翼といえるのではなかろうか。こうしてみると沖縄の右翼勢力が援護課に籍を置いていた照屋氏を利用して自作自演の物語を創作したということが真実と疑われる。被告弁護士は草の根を分けても事実関係を糺すべきであろう。

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