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3月29日沖縄タイムス渡嘉敷島慰霊祭

http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-03-29_31686/

35年ぶり渡嘉敷村慰霊祭「風化させぬ」

【渡嘉敷】沖縄戦当時、「集団自決」(強制集団死)のあった渡嘉敷村の戦没者を追悼する慰霊碑「白玉之塔」で28日、村主催では35年ぶりとなる慰霊祭が開かれ、島内外から約170人が出席した。参列した遺族らは花や線香を手向け、67年の時を超えて悲しみを胸に、反戦の誓いを新たにした。同村は「集団自決」のあった3月28日を慰霊の日に定めている。今後も村主催により、慰霊祭を継続していく考えだ。(内間健)

 同塔には「集団自決」で犠牲になった村民約330人をはじめ軍人、軍属らを含む594柱がまつられている。村は51年に建立後、遺族会と合同で慰霊祭を行うなどしていたが、77年の三十三回忌で終了し、その後は個人で参拝する形式を取っていた。

 沖縄戦当時5歳で、自らも集団自決で命を落とす危険があったという座間味昌茂村長が「戦争体験を風化させてはいけない」と、遺族らが一堂に会する村主催の慰霊祭の復活を望んだ。

 遺族代表としてあいさつした吉川嘉勝さん(73)は「日本軍の将兵や朝鮮からの軍夫、慰安婦も、島人らにより、この塔に一緒に葬られたと聞いている」と当時の実相を語り、「戦争は人間の理性を奪う。いかに理由を付けようと、絶対にあってはならない」と強調した。

 軍関与をめぐる「集団自決」訴訟で証言に立った体験者の金城重明さん(83)も「歴史の証人」として参列した。「渡嘉敷島では、軍が生き残り、住民が死ぬ『軍生民死』だった」と振り返り、「村主催の慰霊祭の形で、記憶に留めていってほしい」と静かに語った。

 祖母を背中に負ぶって自決場所に急いだが、間に合わず、その後は山に避難して生き延びたという金城信子さん(82)は、きょうだいら4人の家族を失った。「ひもじくして亡くなって、かわいそうだ。戦争のことは忘れることはできない」としみじみ語った。

島で父母悼み「感無量」
那覇・眞喜屋さん 反戦の思い新た

 【渡嘉敷】渡嘉敷島「白玉之塔」で28日開かれた慰霊祭に、那覇市から眞喜屋實美(さねとみ)さん(78)が、妻やおい、めいらとともに参列した。塔に刻銘された父母の眞喜屋實意さん、ナヘさんは「集団自決(強制集団死)」で犠牲になった。一族は毎年、この日を實意さんとナヘさんの命日とし、那覇市の次男宅で親族が集まってしのんでいた。島での慰霊祭に初めて参加した實美さんは「感無量です」と語った。

 今回、35年ぶりの村主催の慰霊祭の開催を知り、一家を代表する形で参列した實美さん。沖縄戦時は熊本県に疎開していた。「今回は集団自決の現場も見られた。両親は大変だっただろうと思う」と話し「慰霊祭に参加できて良かった」と実感。「このようなことが二度と起こらないよう願う」と話した。

 式典終了後、一家は塔の刻銘版の2人の名前の前に集まった。教師で孫にあたる宮城千恵さん(53)=宜野湾市=が、平和教育に活用するために自作した歌「命どぅ宝」を歌った。實美さんは少し離れた後ろで、そっとめいの歌声に聞き入った。

 千恵さんは「この島には軍隊がいた。武器や基地では住民を守れない」とあらためて反戦の思いを強くしていた。
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